女性たちはさまざまな道をたどって子どものいない状態に至りますが・・・


そこに至るまで取った行動や下した決断の中ですんなり自責の念につながりうるのは、中絶を選択したということでしょう。


女性が妊娠したとします。


何もしなければ、おそらく、子どもが生まれるでしょう。


女性はたいてい、もっともなことですが、また妊娠するだろう、子どもはあとでも産めると思います。


結局、中絶した多くの女性があとで子どもを産んでいるのだからと。


子どもができないとわかると、女性は中絶した自分を責めるかもしれません。


そして、責めないかもしれません。


わたしがインタビューした女性の多くは中絶を経験していますが、中絶に対する態度は主として3つのタイプに分けられます。


まず、自分の下した決断に満足していて、また同じ決断を下すであろう女性。


多くの人が自分を責めていません。


自分の生存そのものが相手との関係にかかっているように感じられ、逆に、相手の欲求をかなえてあげたり相手の気に入ってもらうことに汲々とします。


こうした強い利害関係を考えれば、女性の行動のプロセス(あるいは行動しない理由)が理解できます。


もしあなたが、自分の取った行動や下した決断の理由を突き止めたければ、以下の方法を試してください。


自分に対して敬意を払う。


自分の人生経験を考えれば、自分の取った行動には、つじつまの合う正当な理由があったと考える。


決定を保留する。


自分の反応を責めない。


そして、自分に「わたしはああした。なぜなら・・・」という。


・・・こうすることで、より深い心理的な理由が明らかになることがよくあります。


わたしは自分をより深く理解することで、自分を責めずに責任を取ることができました。


自分が一つの役割を演じていたと初めて気づいたとき・・・


あなたは他人に向けていた怒りや非難を自分自身に向けるかもしれません。


それは自然なことだと思います。


確かにわたしにも自分を責める時期がありました。


幸い、わたしの自責の念はすぐ消えました。


ことによると、ソーシャルワーカーという仕事柄・・・


たとえ本人は意識していなくても、人が一つの行動を取るには正当な理由があり、一つの決断を下すには正当な理由があることを知っていたせいかもしれません。


一見、筋のとおらない行動も、個人の生き方と照らし合わせて考えると、うなずけることがあるのです。


例えば、精神の安定を求める多くの女性は、子どものころは両親、大人になってからはパートナーと一心同体で、自分の意見や欲求をあえて主張しようとしません。

かつてB君は才媛の誉れ高い奥さんから、


"なまじっかなことをやるくらいなら、モラトリアム人間でいなさい"


・・・とやりこめられたことがあります。


自分は当事者にならず、あくまでお客様的な存在、責任を持たず義務も果たさず、それでいて評論だけはおおいにやります。


・・・これなら積極的にポイントを稼ぐこともありませんが、失点や減点を食らうこともないのです。


さすが奥さんはB君の長所、短所をよく見抜いていると感心しましたが、その時奥さんは続いて、


「努力してダメなら仕方がないが、あなたを見ているとやるまえから諦めている」


・・・とつけくわえたそうです。


頭の良さが裏目にでた悲劇でしょう。


これと対照的なのがA君です。


若いときには少々煙たがられても、直言居士、一匹狼で通りました。


多少出る杭は打たれても、仕事のできる点を評価されました。


攻めだけで守りは必要ありませんでした。


仕事のほうも次から次へと難しい仕事、新しい仕事に変わらされました。



逆に体よくひとの責任まで押しつけられてしまいます。


これでは失敗ばかりが重なり、上司だけではなく世間の信用もなくなります。


賢いサラリーマンとは、この世間の評価の仕組みを熟知していて


"今の仕事で成功はできなくても、失敗という決定的な烙印だけは押されまいとし、押されそうだとその責任を他に転嫁するべく最後まで努力する"


・・・このようなご仁です。


B君はかつて若い頃トルコ風呂巡りがバレて会社でヒンシュクを買ったことがあります。


社宅の仲間と一緒に遊び歩いていて、一人が奥さんに発覚しそうになり、B君は悪者に仕立てられ、それをまた会社の同僚に相談したから、いっぺんに部長の耳に筒抜けになりました。


悪所通いの秘密は、社外の親友とでなければ共有できません。


会社の同僚は常に出世競争の敵です。


相談できる相手はせめて課長か、自分が子分になりたい上役、あるいは窮鳥が自ら懐に飛び込んでいけるような領袖的存在でなければなりません。


・・・このへんにもB君の陥れられやすい迂闊さが表われています。



すくなくとも皆勤、定刻出勤のまじめさで点数を稼ごうというのは効率がよくありません。


B君の場合は簡単に失敗するので信用がありません。


最近のサラリーマン社会は、上に人をみる目がなくなったので、人の評価は実績で行うしかないのです。


結果がよかったか悪かったかだけです。


それも、なぜよかったか、悪かったか、原因やプロセスを追求することなく、結論だけであり、そのうえ悪いことには、その良否も実態とは関係なく、みせかけの装いによる点です。


・・・なによりも"良い結果をだした"という評判をとることが肝心です。


これと逆に"うまくいかなかった"というレッテルをはられると、実態いかんにかかわらず、もう救いがないですね。


人々は皆忙しいので、ひとの失敗の原因やプロセス、もてる潜在能力や今後への可能性、リカバリーや敗者復活などを考えてくれる余裕もなければ、それらを見極める能力も上にはありません。


B君は諦めるのが早過ぎるのです。


物事にすぐ見切をつけてしまいます。


・・・これ以上やっても仕方ないと諦めます。


そしてその責任をひとに転嫁するのさえ面倒がるのです。



第三者や客観的な主体は、自分にこうしてくれるはずである、との自己中心的なきめつけが案外多いものです。


平気で甘えていられる神経の持ち主とか、世に硬骨漢といわれる連中には、この種の単細胞がけっこういます。


A君は性格的にはまじめなので、企業組織のなかでも、能力を養い、まじめに努力していれば評価されると信じています。


・・・たしかに人事考課の建て前はそうです。


しかし世の中は本音が建て前通り行われたためしがありません。


人事考課の実際は直感とフィーリング、それにひとの噂です。


直接の部下には好き嫌いが優先し、普段の酒のつきあいなどがものをいう。


意外に影響しないのが遅刻と欠勤でしょう。


こそこそした陰湿な遅刻や無断欠勤は困りますが、さらっと悪びれない遅刻や理由のはっきりしている欠勤は、それがたとえ遊びやずる休みでも問題ありません。


むしろ遅刻でも日によって早かったり遅かったりというより、毎日30分は遅いですが、9時半にはかならず来ているという正確さのほうが上司にとっては始末が良いでしょう。



輸送力をもつ岩崎は、10隻の汽船代金300万円を支出してほしいと申し出ます。


政府の財政は火の車でしたが、断れば、すでに長崎で待機している将兵や弾薬を台湾へ送れなくなって、大久保・大隈はその責任を問われることになります。


やむなく大久保は、岩崎の要求に応じます。


こうして政府御用を引き受けた三菱は、政府の命令書を受け取るとともに、"海運担当約定"を結びました。


その第7条にこう明記されています。


"無事の時に在りては、お預かりの汽船をもって、人民輸送の便を広大にし、さかんに回航の利を開くは、すでに当社に許可を賜うものとす"


・・・この契約によって、三菱は400万円相当の汽船を取り込んで自由に使うことができました。


それは弥太郎の強引さに政府が負けたことを意味しています。


なにぶん明治新政府の高官は武士上がりで、とんと経済に弱かったのです。


明治8年5月、海運三策が大久保の手によって閣議に提出され、政府は以来、積極的に民間海運会社を保護育成することになりました。


政商となる道を選んだ弥太郎は、前年6月に本社を大阪から東京の南茅場町へ移して、いよいよ政治の中枢部へ食い込んでいきます。


台湾征討で、兵員の輸送を引き受けた三菱商会は、船は手に入れるわ、政府と契約して毎年25万円の補助金はもらうわで、一ぺんに桜花燗漫といった好景気がやってきました。


明治8年6月、政府勧告という止めを刺されて、日本国郵便蒸汽船会社は解散の日を迎えます。


その所属船舶を総額32万5千円と見積もった政府は、これを買い上げて会社の清算をすませました。


三菱はそのうち18隻の船と倉庫、海運施設などを引き継いだばかりか、副頭取の川崎正蔵以下の社員と船貝も引き受けます。


その結果、三菱は所属船舶40余隻を数える日本最大の船会社に急成長。


しかも政府という協力な後ろ楯をもっているのですからこんなに強いことはありません。


そこで上海に向かう海外航路を開いて、一段と飛躍を試みたのです。

当時、中国の所属とも、どの国の所有とも、もう1つはっきりしなかった台湾へ、この際兵を出そうというのです。


たまたま沖縄の漁民が、台湾で虐殺されるという事件が起こったため、それを名目として政府は出兵を決意しました。


そこで兵員と物品の輸送を、半官半民の郵便蒸汽船へ指令しました。


ところが思いがけず、頭取の岩橋万造が、


「それはお引き受けしかねます」


と首を横に振ったため、政府は困惑しました。


岩橋は、もし政府の御用を引き受けたら、現在争っている三菱汽船にシェアを占められてしまうというので、政府の御用をバネつけたのです。


そうなればほかに有力会社はないので外征の兵員輸送は、三菱が命じられるだろう・・・。


その隙に国内市場を押さえてしまおうというのが岩橋の肚の中でした。


予想どおり、困りきった政府は、岩崎を招いて、輸送を命じました。


長崎時代の知人大隈重信からこの話を聞いた岩崎は、あっさり引き受けます。


しかしその条件として船を買ってくれと申し出ました。


それはいわば人質をとって脅しているようなもので、政府としては、兵員輸送が必要でしたからこの申し出を断れなかったのです。

これでは銀行から金を借りている三菱としては、とてもやりきれません。


川田達は猛反対しましたが、弥太郎は、神戸i大阪間銀1枚の運賃を天保銭1枚に引き下げました。


「大将、これではとても財政がもちません」


「なァに、いまに神風が吹くさ・・・」


成算はありませんが、やらねばならぬと弥太郎は頑張り通したのです。


明治7年10月、突然政府は、公金預かり高に対する抵当の増額を発表。


そのため小野・島田といった政府御用の豪商が倒産に追い込まれました。


三菱も大きな打撃を受けましたが、それよりダメージを受けたのは郵便蒸汽船の方で、借入金40万円の返済を命じられて、青息吐息となりました。


明治新政府は、藩長土肥の藩閥政府であるといわれています。


しかしこの四藩がつねに仲よく提携していたわけでなく、互いに意見が食い違い対立が起こって、激しい権力闘争がはじまりました。


征韓論をめぐって、さらにこの対立が激化しました。


その結果、西郷隆盛、板垣退助、後藤象二郎、江藤新平、副島種臣達が参議の職を辞して帰国。


佐賀の乱が起こったのはその直後です。


首謀者である江藤新平はやがて逮捕、処刑されましたが、江藤の誘いを受けても立たなかった西郷の存在が、政府に残った大久保利通には不気味でなりませんでした。


そこで西郷を盟主と仰ぐ全国の失業士族階級の不満をそらすため外征を思いつきます。

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