記念碑的な作品とは、マイケル・グレイブスの「ポートランド市庁舎」をさす。
この建築は、すべてのひとが認める「ポスト・モダンのマイルストーン」です。
クリーム色の肌に濃い焦げ茶の逆三角形の装飾。
その下に飛び出したやはり逆三角形の柱頭。
柱の飾りは別の壁では、リボンを結んだようなポップな仕立てにもなっています。
地元のひとはこの市役所にウエディングケーキとニックネームをつけました。
ジェンクスの主張を、モダニズムへのシニカルな視線ではなく、これからも応用が可能な造形としてグレイブスが実現したことは、モダニズムを見切るのに逡巡していた建築家たちの決断を早める役割を果たしました。
わたしは、ジェンクスのいうポスト・モダニズムがモダニズムの硬直化を打破する可能性があるとみて、多くの日本の建築家に水を向けましたが、反応は異様に冷たいものでした。
くたびれ果てたモダニズムの教科書を握りしめている彼らが、哀れにも思えました。
わずかに磯崎新だけが冷静に世界の動向を見つめていました。
わたしがバンクーバーに滞在した前の年・・・
つまり、1982年に、バンクーバーからアメリカとの国境を越えてすぐのオレゴン州の都市ポートランドで記念碑的な作品が誕生していました。
そのことが、バンクーバーの書店のジェンクス・コレクションにつながっていたのです。
・・・時代はカナダでは素直に動いていました。
カナダにはアーサー・エリクソンという突出した建築家はいても、目につく都市・建築評論活動は存在しませんでした。
ですから、資料集めの書店巡りも熱が入らなかったのですが・・・
ウォーターフロントにロフト・ショップが集まるグランビル・アイランドと呼ばれる小さな人工半島に出かけ、ふらりと立ち寄った美術書店の書棚を見て、わたしは、目を丸くしました。
ジェンクスの著書がずらりと揃っていたからです。
なにぶんに多作のひとで、『ポスト・モダニズムの建築言語』と類似した新著もたくさん出しています。
・・・それにしても、ひとつの棚がジェンクスの著書で埋まっている光景は、圧巻そのものでした。
日本はそこまで行っていませんでした。
すくなくとも皆勤、定刻出勤のまじめさで点数を稼ごうというのは効率がよくありません。
B君の場合は簡単に失敗するので信用がありません。
最近のサラリーマン社会は、上に人をみる目がなくなったので、人の評価は実績で行うしかないのです。
結果がよかったか悪かったかだけです。
それも、なぜよかったか、悪かったか、原因やプロセスを追求することなく、結論だけであり、そのうえ悪いことには、その良否も実態とは関係なく、みせかけの装いによる点です。
・・・なによりも"良い結果をだした"という評判をとることが肝心です。
これと逆に"うまくいかなかった"というレッテルをはられると、実態いかんにかかわらず、もう救いがないですね。
人々は皆忙しいので、ひとの失敗の原因やプロセス、もてる潜在能力や今後への可能性、リカバリーや敗者復活などを考えてくれる余裕もなければ、それらを見極める能力も上にはありません。
B君は諦めるのが早過ぎるのです。
物事にすぐ見切をつけてしまいます。
・・・これ以上やっても仕方ないと諦めます。
そしてその責任をひとに転嫁するのさえ面倒がるのです。