弥太郎は、三菱商会前身の「九十九商会」創業の明治3年から同18年、共同運輸との死闘の最中に死亡するまで絶対的創業者として君臨しました。
当然その後は、弥太郎の女房役であった弥之助が継いで、同26年に三菱合資会社設立と同時に、弥太郎の長男久弥に受け継がれました。
久弥は大正5年、社長の椅子を弥之助の長男小弥太に譲っています。
以後、小弥太は、敗戦に至るまでの30年間、三菱グループの総帥としての地位にありました。
小弥太は「三菱中興の祖」と呼ばれています。
小弥太が全三菱に徹底させようとしたことがあります。
それは、「政治不関与の原則」でした。
政商を自他ともに認じた三菱の方針からいえば、大転換ともいうべきことでした。
軍や政府を相手に商売はしても、特定の軍人や政治家と親密につきあうことを厳に戒めたのです。
・・・いうまでもなく、軍人や政治家に深入りすれば、彼等が権力の座にいるうちはいいですが、彼等が力を失うとともに沈む・・・
いえ沈むくらいならいいですが、つぶされてしまうことも起こりうるからでした。
時代が激しくなれば、浮沈も激しくなる・・・。
大三菱を維持発展させていくためには、創業期とは違う原則が必要だったのです。
このことを、日本の敗戦、そして連合軍による占領、なかんずく財閥解体と公職追放政策によって、いやというほど思い知らされたのです。