2010年11月アーカイブ

弥太郎は、三菱商会前身の「九十九商会」創業の明治3年から同18年、共同運輸との死闘の最中に死亡するまで絶対的創業者として君臨しました。


当然その後は、弥太郎の女房役であった弥之助が継いで、同26年に三菱合資会社設立と同時に、弥太郎の長男久弥に受け継がれました。


久弥は大正5年、社長の椅子を弥之助の長男小弥太に譲っています。


以後、小弥太は、敗戦に至るまでの30年間、三菱グループの総帥としての地位にありました。


小弥太は「三菱中興の祖」と呼ばれています。


小弥太が全三菱に徹底させようとしたことがあります。


それは、「政治不関与の原則」でした。


政商を自他ともに認じた三菱の方針からいえば、大転換ともいうべきことでした。


軍や政府を相手に商売はしても、特定の軍人や政治家と親密につきあうことを厳に戒めたのです。


・・・いうまでもなく、軍人や政治家に深入りすれば、彼等が権力の座にいるうちはいいですが、彼等が力を失うとともに沈む・・・


いえ沈むくらいならいいですが、つぶされてしまうことも起こりうるからでした。


時代が激しくなれば、浮沈も激しくなる・・・。


大三菱を維持発展させていくためには、創業期とは違う原則が必要だったのです。


このことを、日本の敗戦、そして連合軍による占領、なかんずく財閥解体と公職追放政策によって、いやというほど思い知らされたのです。

周知のとおり、戦後日本の経済と産業は、六大企業集団によって牽引されてきました。


そのなかで三菱の占める割合は、さほどに大きいわけではありません。


売り上げでいえば、三菱は第5位にすぎないのです。


日本経済のなかで占める割合は、2.33パーセントです。


・・・にもかかわらず、三菱は、「日本の三菱・世界の三菱」です。


なぜなら、日本の企業集団のなかで、航空、原子力、造船、自動車、電気など重機械、戦車、戦艦、戦闘機など軍需生産、未来産業となる宇宙関連戦略産業に強いのは、三菱重工業を中核とする三菱グループ以外にないからです。


三菱は岩崎弥太郎、弥之助兄弟によって興されました。


兄は、遊び好きの喧嘩好き、しかし商売の勘は実に鋭かったのです。


一方、弟は、正反対の性格。


動と静、閃き行動派と沈思黙考型、カリスマ的リーダーである弥太郎に対し集団統御型オルガナイザーの弥之助。


創業期三菱は、2人の絶妙のコンビネーションによって発展しました。


三菱は、弥太郎・弥之助兄弟が、無一文から苦労辛酸を重ねてつくり上げただけに、三井、住友の番頭支配に対し、「岩崎家君臨主義」をとってきたといっていいでしょう。


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