明治2年、弥太郎は、少参事に任じられます。
一介の地下浪人から出世して、いまや土佐藩の大坂藩邸を取り仕切るまでに出世したのです。
弥太郎は藩の大坂代表としてかなりの権限を任されることになりました。
明治2年になると、新政府はこんな通達を出します。
各藩が直営してきた藩営の事業は、民営企業を圧迫するからすみやかに廃止するように、というのです。
・・・しかし、そんなことをすれば莫大な藩債を償還できなくなって、藩の財政は破綻してしまいます。
そこで土佐藩は、大坂土佐商会を、民営事業のように偽装しようとしました。
明治3年10月、土佐商会を"土佐開成商社"と改称しようとしますが、それでは藩の匂いが強すぎると後藤達が言うので、"九十九商会"とすることになりました。
しかし九十九商会を完全な私企業であるとは、世間はみてくれませんでした。
表向きは私企業でも、裏では藩の紐つきとみていたので、もう一度改名して三ツ川商会とします。
やがて廃藩置県が迫ってきました。
弥太郎は、廃藩置県の大号令が発せられると、その日の相場で、政府が藩札を買い取るという情報を、後藤からキャッチしました。
そこでさっそく彼は行動を開始。
まず堺の金持ちから十万両の太政官札(天札)を借り受けると、その天札をもって、額面の3分の1から4分の1くらいの価格に下がっている土佐の藩札を買いあさったのです。