その頃の弥太郎はまだ海運業をおのが本業とする決心がついていませんでした。
しかし、明治5年、三井・鴻池をはじめとする豪商が政府と結んでつくった半官半民の日本国郵便蒸汽船会社が発足すると、むらむらと持ち前の負けん気が頭をもたげてきました。
それに海岸線の長い日本沿岸の海上輸送がきわめて貧弱なのに目をつけた外国の商船会社が、あわよくば一手に独占してやろうというので、ぞくぞくと日本の海に乗り込んできました。
その情勢をみて大番頭の川田小一郎が進言しました。
「大将、向こうは日本政府や強国アメリカにイギリス、こちらは土佐藩の援助も表向きは受けられぬ三ツ川商会、これではとても太刀打ちできまぜんぞ」
石川七財が左腕なら、それより早くから弥太郎につき従っている川田小一郎は右腕、一の子分といってよかったのです。
その川田が、海運業界の現状を調査分析して、結論を導き出したのです。
「つまり川田、海運業はやめておけと申すのだな」
「はい、これは私だけでなく、石川も森田晋三も同意見でございます」
弥太郎は"左様か"ともいわないで、いきなり決心しました。
「よし、わしはやるぞ、いまに日本一の海運王になってみせるぞ」。