これでは銀行から金を借りている三菱としては、とてもやりきれません。
川田達は猛反対しましたが、弥太郎は、神戸i大阪間銀1枚の運賃を天保銭1枚に引き下げました。
「大将、これではとても財政がもちません」
「なァに、いまに神風が吹くさ・・・」
成算はありませんが、やらねばならぬと弥太郎は頑張り通したのです。
明治7年10月、突然政府は、公金預かり高に対する抵当の増額を発表。
そのため小野・島田といった政府御用の豪商が倒産に追い込まれました。
三菱も大きな打撃を受けましたが、それよりダメージを受けたのは郵便蒸汽船の方で、借入金40万円の返済を命じられて、青息吐息となりました。
明治新政府は、藩長土肥の藩閥政府であるといわれています。
しかしこの四藩がつねに仲よく提携していたわけでなく、互いに意見が食い違い対立が起こって、激しい権力闘争がはじまりました。
征韓論をめぐって、さらにこの対立が激化しました。
その結果、西郷隆盛、板垣退助、後藤象二郎、江藤新平、副島種臣達が参議の職を辞して帰国。
佐賀の乱が起こったのはその直後です。
首謀者である江藤新平はやがて逮捕、処刑されましたが、江藤の誘いを受けても立たなかった西郷の存在が、政府に残った大久保利通には不気味でなりませんでした。
そこで西郷を盟主と仰ぐ全国の失業士族階級の不満をそらすため外征を思いつきます。